星に願いを
関東屈指の進学校として有名な東邦学園は、その徹底した課外カリキュラムでも同様に有名だった。もちろん全国でトップレベルを誇る運動部の連中もその対象外とはならない。もちろん不満の声がないわけではなかったのだが、理事でもある松本香女史の、「サッカー部には特別に大学部のセミナーハウスを貸してあげる。それに、留年したいならしたっていいのよ?」の言葉に反抗できる者などいるわけがなく、冬の全国大会を終えるやいなや、ここ、湘南のセミナーハウスに連行されることとなったのだ。
「で、なんでこうなるんだよ。」
普段の人当たりの良さはどこへいったのか、まったく愛想のない顔で若島津はつぶやいた。たいていの人間はそれだけで固まってしまうのだが、長年の付き合いで若島津の二重人格を知りすぎているほど知っている反町にとってそんなものはとるに足らないものでしかない。
「いいじゃん、いいじゃん。だいたいさぁ、やることがせこいんだよねぇ。どーせ、買い出し行こうとか何とか言って日向さん誘ったんでしょ?おまえの考えてることなんかお見通しだっつうの。」
反町の言うとおり、買い出しを口実に小次郎だけを連れ出したはずだった。だが、ようやく乗り越えた塀の先には、どこでどうかぎつけたのか反町を筆頭に2年生全員が満面の笑みを浮かべて手を振っていたのだ。
いつもはにぎやかな海岸沿いの国道も12時をまわればさすがに人通りはない。ときおり横を通り過ぎていく車のヘッドライトに、自分たちの影が伸びて消えていくのが見えるだけだ。けれど今日は月明かりだけでも十分明るい。なんだかそのまま帰るのが惜しい気がして、誰からともなく海岸へと降りていく。
「それにさぁ、寮じゃ誰かさんが同室の特権利用しまくって日向さんひとりじめだしぃ?こんな時ぐらい日向さん解放してくれたってバチはあたんないんじゃないのぉ?」
海岸に打ち上げられていたペットボトルはいつの間にかボールの代わり。嬉しそうに小次郎とはしゃぎまわる今井たちを遠巻きに見ながら、反町は非難めいた口調で言った。
「冗談。俺はいつでもどこでもずっと日向さんと一緒がいいの。」
「いや〜ん、束縛する男って嫌われるのよぅ。」
その言葉に若島津は黙り込む。感情の読めないポーカーフェイスはいつものこと、だが。
「あれ、もしかして気にした?」
「・・・・した。」
それを聞くなり、してやったりといわんばかりに反町の顔に満面の笑みが浮かぶ。
「まぁ、それもまた青春ってもんよ。さむさむっ!日向さ〜んv」
そう言い残すとさっさと駆けだして小次郎と腕を組んだ。
ジャマすんじゃねぇよという小次郎の声に続いて、だって寒いんだもーん、なんて言う反町の声が響く。小次郎は迷惑そうな顔をしながらも、結局はいつもと同じに反町のしたいようにさせる。そんな小次郎に、反町はこれ幸いとさらにじゃれついた。
「日向さん、俺も寒いなぁ。」
実はかなりの負けず嫌いの若島津が反町と小次郎の間に割ってはいる。
「なんだよ、おめぇまで。だーっっ、もうジャマくせぇっっ。」
肝心の小次郎は無視して若島津と反町のポジション取りは激しさをますばかり。一人ずつ両側に行けばいいじゃん、というもっともな今井の意見はそのまま無視されたようだ。
「反町、反町っ!」
若島津の会心のにらみに負け、すごすごと引き下がった反町を呼ぶ声がする。ふくれっ面でふりかえると、小池と島野が手招きをしていた。
「これこれ。さっきコンビニで見つけたんだけど、よくねぇ?」
ひそひそ声につられてのぞきこむと、二人の手に握られていたのは季節外れのロケット花火。
「島野くん!小池くん!君たち素晴らしいよっ!!」
そんな三人の様子などまったく意に介せぬ、といった様子で無理やり奪った小次郎の右腕に若島津は嬉々として自分の腕を絡ませた。が、それもつかの間、見ているほうが恥ずかしくなるほどの笑顔を浮かべる若島津に向かって大声が飛ぶ。
「反町隊長っ、ターゲット確認しました!」
「前方30メートル、標的、若島津!」
「よしっ、発射!!」
ふりむけば、暗がりの中を自分にむかって飛んでくる火花。続いて後を追いかけるように、空気を切る甲高い音が響いた。
目標的中、と三人が思った瞬間。
「げっっ!まじかよっ、あいつよけやがったっっ。」
「フツー手ではたき落とすかっ?」
予想外の展開に三人の表情は凍りつく。これから自分たちの身に降りかかってくるであろう惨劇に体がこわばった。
「ふふふ、甘いな。おまえら、俺のことなんだと思ってんだ・・・って?」
かけだそうとした若島津は、急に腕をつかまれてその動きを止める。
「わーかーしーまーづー・・・・」
「ひ、日向さん?」
「思いっきり俺んとこに飛んできたっつうんだよっっ」
鈍い音に続いて、若島津の体が宙に飛んだ。
「出ましたっ、日向さんお得意のラリアット!!どうです、解説の反町さん?」
「いやぁ、きれいに入ってましたね。さすが日向さんっv
ほれぼれしちゃいますぅ。」
「日向・日向・日向・日向!」
わき上がる日向コールに、小次郎は高々と右手をあげてこたえた。そんな小次郎に負けじとしてか、同じように右手を上げる人影があった。
「みなさ〜ん、僕は海に帰りま〜す。さーよーなーらー。」
さよならー、などと無責任なかけ声がかかるなか、その人影は迷いもなく海にむかって走り出す。
「はじけてんなぁ、松木。めずらしくね?」
少しまったりとしてきた古田に今井が声をかけた。
「ああ・・・、って、おい、ここのビール空けたのお前?」
「いんやー、俺じゃねぇけど?」
「てことは。」
「松木っっ!?」
あわてて海を見れば、例の人影はすでに腰のあたりまで波につかっている。
「おいっ、ちょっ、誰か松木止めろ!」
「あいつ酔ってんよ!まじやばいって!!」
二人の声に全員が沖を眺めた。そこにあるのは今まで見たこともないような笑顔で沖にむかって進む松木の姿。
「まじかよ〜。勘弁してくれよ〜。」
「松木っっっ!」
「おーい、松木っ、帰ってこいっっ!!」
だがどうやら戻ってくる気配はない。それどころかさらにスピードが増しているようにさえ思える。
「だーっ、しかたねぇ、行くぞっ!!」
へらへらと不思議な微笑みを残して海に消えていく松木にむかって大きな水しぶきがあがった。
やっとのことで追いつくと、そのまま松木の体からはふにゃふにゃと力が抜けた。
「だーっ、もうしっかりしろよっ。おめーんだよっ。」
文句を言いながらもしっかりと小次郎は松木を背負う。それでもずり落ちてくる松木を支えるために、たくさんの手がどこからともなく伸びてくる。酔っぱらいを運ぶのはかなりの労働。加えて波の動きに足がとられて思うように進めない。だが当の本人は実に満足そうな顔で小次郎の背中にぶら下がっている。
「わー、日向さんらぁ。うれしいなぁ。」
「それどころじゃねぇんだ。黙ってろっ。」
そんな小次郎の怒鳴り声も、全員の嫉妬のこもった視線を投げかけられていることも松木には関係ないようだ。しまらない笑顔をさらにでれでれにして続ける。
「れも・・・・こうして一緒にいられんのもあと1年なんすよねぇ。」
不意をついた松木の言葉。だが、そこにいた全員の動きを止めるには十分すぎる言葉。
「1年たったら、もう、みんなばらばらで、それぞれのことしてて。なんかさぁ、すっげぇさみしくないっすか?なんでかなぁ、なんか、俺、最近こんなことばっか考えちゃってぇ。」
今まで全然気にならなかった波音が急に大きく聞こえだす。あっという間にひろがる沈黙。
いつの間にか自分たちの中にあった形にならないもの。それでも、誰もがいつもどこかでその影を感じていた。けれど、決して口には出せなかったこと。
「ありぃ?なんか涙でてきちったよ〜。」
誰ともなく黙ってお互いの顔を見回す。嫌になるほど見慣れたはずの顔が、なんだかいつもとちがって見えるのは月明かりのせいだけではないことははっきりしていて。急にまわりを取り込んだ重苦しい空気を誰もがもてあますだけだ。
「・・・・松木、先のことなんか俺だってわかんねぇよ。」
松木を背負ったままで小次郎が口を開く。
「でもよ、俺らが一緒にいたってことは何があっても変わんねぇだろ。」
憶えている。
体が。足が。腕が。心が。
あの夏の暑さを。ともに吸い込んだ空気を。むせかえるような熱気を。ねじふせられ、たたきつけられた悔しさを。
そして、いつでも一緒に走ってきたことを。
「だから俺らは一人になろうが、どこに行こうが、絶対大丈夫だ。」
前を見据える小次郎の瞳に迷いはない。凛とした、その横顔。
忘れてはいない。忘れるはずなどない。自分たちは確かにいたのだ。この誇り高い魂とともに。なにごとにも代えがたい、それは自分たちだけの記憶。なによりも、大切な。
「いやーん、日向さんたら、す・て・き!」
不意に後から反町に抱きつかれて小次郎は松木ごと海に倒れこんだ。
「あり?」
「あり、じゃねぇよ、反町。てめー・・・。」
逃げだそうとした反町の襟首をつかんでそのまま海へなげこむ。すかさず小池たちが押さえにかかった。
「日向さんになにしてんだよっ。」
「沈めろ沈めろっっ。」
「冷たいよ〜死んじゃうよ〜。」
「ンの程度でてめーが死ぬかっつうの!!」
星空の下、またいつもの自分たちがかえってくる。
だけど、本当は今でも不安で。
いつか、だが、確実にやってくるその日を忘れることなんてできずにいる。
でも、その時がきたら。
すべてを勇気に変えて。すべてを誇りに変えて。
進んでいける。
きっと。
END