7月(何日だか忘れた)
 やたら重いまぶたを開けて、ゆっくり頭を上げると、反町が1人立ってエーゴをしゃべっていた。
じとりと汗ばんだ背中がかゆくなって、アクビがてらボリボリ掻く。ゆるんだ目で見た窓の外は、真っ青な空だ。機械がまいた水で、グラウンドに小さな虹ができている。その向こう側にゴールが見えた。どっかのクラスが走り回ってボールを追っている。足がうずいた。
 後ろを振り向いたとたん、ばちり、と若島津と目が合った。
 「あんまり掻くとまた血出るよ」
 素知らぬ顔をして言う若島津に舌打ちを返す。
 いつもならここで、教室にオサラバしてボールを蹴りに行くところだ。
 こいつ、絶対、昨日俺が机の上のセンベイを食ったことを根に持ってやがる。んなに食いたかったならちゃんと名前でも書いておけってんだ。











 日向さんと目があった。いきなりのことで、「ドキリ」だか「ヒヤリ」だか、とにかく心臓がおかしいほど飛び上がった。
 呼吸さえもあやうくなって、もつれそうになる舌を動かすと、日向さんはチッ、と舌打ちして、背を向けてしまった。その動きにつられるように、さっき日向さんが見ていた方向を目で追う。流れる視界に白いものが掠った途端、「しまった」と「またやってしまった」が交互にせめぎあう。日向さんはきっと(というか絶対)ゴールを見て、サッカー発作に襲われたのだ。意図的ではないとはいえ、俺はそれをスルーしてしまったことになる。
 何やってんだ、俺。
 さっき、俺の心臓を飛び上がらせたのは決して、意中の人と偶然目があってしかも相手は熱っぽくこっちを見ている、という類のものではない。よくよく考えれば、たまにこうやって目が合うのは、ひとえに俺の努力の賜物なのだ。

 授業中や朝の走り込み。練習してるときや、風呂入ってるとき。一日中ずっと見つめていれば一回ぐらい目が合うかもしれない。視線に気づいて、振り返ってくれるかもしれない。その積み重ねと最近続く暑さの影響で日向さんの脳みそのシナプスがちょっとよじれて、俺をそういう対象として意識してくれないだろうか。ーーーと、日向小次郎に惚れてしまった俺は、そういう呆れるほど地道なこと(もちろん周囲にはばれないように気を配っているので、一点集中と多視集中の切り替えの訓練にもなっていたりもする)を積み重ねているのである。なのに。
 思わぬ落とし穴に、俺はため息を吐いた。前を向いてしまった背中は、振り返りそうにない。










8月17日
 例年通りに屋上で行われた日向さんの誕生日会(という名の馬鹿騒ぎ)から、二人揃って部屋へ帰ってきた頃には、時計の針は十一時を回っていた。鍵を開けて中へ入るなり、俺は日向さんにかじりついた。
 ばたん、とドアが閉まる音が聞こえる。世界が真っ暗になった。
 「おい」
 と、日向さんのいぶかしげな声。何だかたまらなくなって、腕の力を強くした。肩に額をすりつける。
 「おめでとう」
 「さっきも聞いたぞ」
 酔っぱらってんのかよ、という言葉に、首を振る。
 「おめでとう、おめでとう、おめでとう、おめでとう」
 一言一言に、ありったけの想いをこめて、呟き続けた。
 「気持ちわりぃな」
 日向さんは照れくさそうに眉を顰め、それから、くすぐったそうに少し笑った。
 わしわしと俺の頭をかき回して、なにかポツリと言った。
 「え、なに?」
 さあな、としか返さない日向さんの面倒くさそうな横顔すら愛しくて、さっきのアルコールが今頃回ってきたらしい俺は何の脈絡もなく、「大好き」と洩らしてしまった。












 真っ暗な部屋に帰るなり、若島津が抱きついてきた。
 おい、と言ってみたけれど答えずに、ギリギリと力を込めてくる。おまけに、やたら「おめでとう」と言ってきた。絶対酔っぱらってやがる、こいつ。けど、気分は悪くなかったから、わしわしと頭を撫でてやった。
 「あ、」突然、何でこいつがこんなに力一杯柔術をかけてきてんのかが分かった。
 まだ、根に持ってやがるんだ、いつかのセンベイのこと。
 こいつは何でも忘れずに覚えたがる性分で、俺がとっくに忘れた出来事を持ち出してくることがよくある。(特に注意口調になったとき)今度もそれだろう。あのセンベイがよっぽどの好物だったんだきっと。そう思うと、さすがにちっと居心地悪い。
 「わりかったな」
 と言ったのは、若島津には聞こえていなかったらしい。
 何か言い返されたけど、俺には聞こえなかった。あーめんどくせえ。
 「だから、悪かったって言ってんだろ、センベイ食っちまってよ」
 早口で言い直したが、やっぱり若島津には聞こえていなかった。へらへら上機嫌に笑ってやがる。
 変な奴。
 片手でボリボリ頭をかきむしって、俺は部屋の明かりをつけた。



end

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日向さんハッピーバースデー!!
アタマ弱いのしか浮かんできません。ごめんなさい日向さん…!
大好きです。
日向→若島津→若島津→日向の順番で。